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人はなぜ伝えたがるのか?




「自分の中にあるものを表に現していこう」


私は、怖くてしょうがなかったこれ↑を始めたことで、自分が自由になっていくのを感じました。


表に現すということは、範囲はどうであれ「公開」するということ。

身の回りの人に、ネット上で世界に向けて、見せる/伝える/共有するということ。


でも、そもそもなんで人は伝えたいんだろう?


ただとにかく言いたい

なんか楽しいから

わかってもらいたい

認めてもらいたい

親しい人たちへの報告

自分自身の備忘録・記録

どんな人か(活動をしているか)知ってもらうため

すごくいいからみんなもぜひ!

これって大切なことだと思うから

なんかやってたほうがいいんでしょう?

…etc.


目的のいろいろはあるものの、これはもう『人としての本質』だと私は思っています。



人は

成長したい生き物だし

体験したい生き物だし

体験したことや感じたことを共有したい生き物。

共有する範囲は

隣にいる人だけにかもしれないし

SNSや大きな舞台で世界に向けてかもしれない。

共有の仕方は

書くことかもしれないし

話すこともかもしれないし

音楽や絵かもしれないし

何も言わずとも一緒にすごすことかもしれない。

どんな形であっても、自分が見ている世界を誰かに伝えられて、誰かと共有できることが喜びである。人はそうプログラムされている

なぜそんなプログラムをされてるのか?

そうすることでこの世界はより豊かになるから。



人ひとりが今世で体験できることには限りがあります。

どんなに1分1秒無駄にすることなく世界中を飛び回ったとしても。

でも、誰かの体験や知識を見せてもらえたら、知らなかった世界を見ることができる。


与えることも、受け取ることも、お互いの世界を広げていくことになる。


世界が広がった自分で、また別の誰かと出会っていく。


そこでまた、お互いの世界が広がって……



植物が、置かれた場所でただ花を咲かせようとするように、人はその人の人生でしかできない体験を通して成長していく。

花を咲かせていく、成長していく、それが喜びなのは、この世界に生きるもの、地球、宇宙も同じこと。


“わたし”で在ることで勝手にそうなるようになっている。

にもかかわらず、自分でないナニモノかになろうとしたり、自分を押し込めたりしますね~…

それが自分自身や大切な人を守ることだと思ってた。

幸せにすることになると思ってた。

でも、どうやらそういうことでもないようです。



本来、勝手にそうなっていく。

表現したくてしている。

やりたくてやっている


だから、その結果がどうあろうと基本かまわないとはいえ、「伝わった」「受け取ってもらえた」「役に立てた」「幸せな気持ちを共有できた」と感じられると嬉しく思うのは、お互いが一緒に世界を広げていく仲間だからなんだと思います。

(‟仲間”というかそもそも‟ひとつ”)

表現すること。

自分の内側を見せていくこと。

なんでもかんでもすればいいというものでもなく、ときに勘違いなことや怖さを感じることは私もいまだにあるけれど。

表現することが生き物としての喜びで、共に生きる誰かの喜びにもなってくのなら。

どんな形でも続けていこうと思うし、内にあるものの表現に関わることができたら嬉しいなと思っています。


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